P ・支配人・先生の独り言

日々の雑談、思いつきをつらつらと書いていくだけ

「現実対虚構」と「空想と浪漫。そして友情」のお話

そろそろこの話をしようと思ったので。

 

 

現実ニッポン虚構ゴジラシン・ゴジラ

空想と浪漫。そして友情=シン・ウルトラマン

 

 

 

庵野さん関係の「シン」シリーズ。今まで全部見てきたのと最後の「シン・仮面ライダー」も見る予定なので。

てか、「シン・ウルトラマン」のあれこれを書きたかったというのが一番。

エヴァゴジラはまぁ、軽く触れるというか前日談な形で。

 

あ、【シンウルトラマン】に関するネタバレがもちろんあるのでそこだけ注意を。

 

 

⑴シンエヴァンゲリオン劇場版の話

  公開2021年3月18日

  シンエヴァはまさに大団円であった。前作である「Q」の公開が2012年だった事を考えると、9年かかった。けれどそんな中でも綺麗に一切の予断なく終わらせてくれたのは最早逆に気持ちが良かった。EDに「Beautiful world」が流れたときはこれでほんとに終わってしまうんだなと最早感慨深くなってしまった。映画館で観たのQからなのに、こんなにあぁ良かったって思えるんだから何が起こるかわからないわな。

 

シン・ゴジラの話

 公開日 2016年7月29日

現実ニッポン虚構ゴジラ のお話。この話のメインは現代日本(2014-2016当たり)にゴジラが出現したらどうするか、謂わば1種のシミュレーション映画と言ったほうが近いのかもしれない、市井の状況をほぼ描かずに主に政府の対応を中心に描かれていく。こう書いてみると、なんであんなにヒットしたんだろうな。やはりリアリティへの拘りだったんだろうか。徹底的にファンタジーなものを排除して、なんなら

完成した映画でファンタジーなのはゴジラだけ

という拘りよう。まさに現実(現代日本)と虚構(ファンタジーゴジラ)との対決になっている。後は音楽へのこだわりかな。ゴジラの伊福部音楽とエヴァの鷺巣音楽がいい具合に映像と嚙み合って感情を揺さぶってくる。庵野総監督のこだわりここに極まれり。な映画だった。

 

⑶シン・ウルトラマンの話

 公開日 2022年5月13日

 さて、本題。シンウルトラマンである。

 ①前提として

一連のシンシリーズにおいて本作だけ少し変わった立ち位置にある。

 

              庵野秀明は監督ではない

 

という点である。今回は樋口監督、企画・脚本庵野なのである。

以下に簡単に両者の作品ごとの役割を確認すると、

※()内はその他の役職

 

シンゴジラは、

庵野秀明総監督(脚本、編集、録音、D班監督・撮影・録音、予告編演出、宣伝監修、タイトルロゴデザイン、画コンテ、画像設計、ゴジラコンセプトデザイン、音響設計)

 

樋口真嗣監督(特技監督、画コンテ)

 

一方シンウルトラマン

 

樋口真嗣監督(撮影)

 

庵野秀明総監修(製作、企画、脚本、編集、コンセプトデザイン、撮影、画コンテ、タイトルロゴデザイン、モーションアクションアクター、ディザーポスター、ディザーチラシ表面デザイン、総宣伝監修、選曲)

 

これは単純に庵野さんが忙しかったからというのが大きい。脚本脱稿が2019年。絶賛シンエヴァの製作真っただ中であった。さらにシンエヴァが終わればすぐにシン仮面ライダーの製作に取り掛かっていた。間にシンウルトラマンに参加できたのは数日間のカメラ応援、監督代理、編集といった程度であった。

、、、、これを程度って言えるのが庵野さんの凄いとこだとは思うんだけれど。まぁ、とにかく本格的に関わったのが2022年1月から。今年に入ってからなのである。そりゃぁ、総監修なんて肩書がつくよなぁ。それでも庵野さんがいろんなところに名前が出てくるのはウルトラマンが好きだからである。

 

 ②庵野さんとウルトラマンの話

  庵野さんはウルトラマンが好きである。どれくらいかというと、あのDAICON FILMでウルトラマンを作ってしまうくらい(主演、監督だったが監督は終盤に降ろされているけど)。そしてエヴァの活動時間の設定に取り込むくらい。特撮オタクだったのである。今作にも初代ウルトラマン、その前日談となるウルトラQのオマージュ、小ネタが多くちりばめられている。

今作のウルトラマンの姿もまた一つ。

shin-ultraman.jp

「真実と正義と美の化身」とは初代ウルトラマンのデザインコンセプトの成田亨氏が描いた油彩画である。大人の事情で付いたカラータイマーがなく、スーツアクターに視界確保に必要だった覗き穴がない。原点の、真のウルトラマンである。        タイトルの【シン】の意味の一つはここにかかっているんだろうなぁと。

 ③神永新二とウルトラマンの話

  今作の主人公は禍特対(禍威獣特設対策室)所属、警視庁公安部から出向の人物である。謎が多い人物で単独行動を好む。映画を見ても余りそれ以上の情報は得られない。

というのも直後、避難に遅れた子供をかばって亡くなってしまうからだ。そこからウルトラマンと融合し神永新二(中身はウルトラマン)として生きていく。対策室の部屋に戻った神永はひたすら「広辞苑」を読んでいる。この時点で明確に【死】の描写が無いため、観客はこの広辞苑のシーンで始めて違和感を持つ。演者は特に違和感を持っていないのが不思議なのだが、もしかしてこれが通常運行だったのだろうか。

ここから当面の間、神永はひたすらに本を読んでいる描写が増える。これは恐らく人類に興味を持ったウルトラマンがひたすらに知識を入れていこうとしているのだと思うと少し面白いかもしれない。新入りとなった浅見への自己紹介も、

「神永だ、バディは相棒と理解していいのか」

なんかは特に知識がまだあまりないウルトラマンらしい質問と言えるだろう。

  

 ④M八七とリピアの話

  今作は米津玄師の主題歌も注目された。タイトルは「M八七」。テレビシリーズでよく言われるウルトラマンの故郷はM78星雲であるが、今作はウルトラマンの出身は曖昧にされており、光の星ということになっている。それに加え現実にあるM87であり、印刷台本時にM87がM78になったエピソードを出しM八七になった。

ここからは与太話になるが、M八七はそのままよめば「えむはな」→「笑む花」と解釈でき今作でのウルトラマンの本名とされた「リピア」とつながる。

「リピア」は外来種であるヒメワレダイソウの別名であり花言葉は「絆、誠実、私を思ってください」と、どこか今作のウルトラマンに通じるものがある。

また歌詞の、

いまに枯れる花が最後に僕へと語りかけた。

「姿見えなくとも遥か先で見守っている」と

はまさに「リピア」を表したものと言っていいだろう。

 

⑤最後の1シーンのお話

 

 ところで、最後はゾーフィの力によってウルトラマンは神永新二に命を与え、

神永新二として皆の前に戻ったシーンで終わったが。あれはどちらになるのかね。

神永新二としては少女を守ったあそこで死んでいる(自分の死体と対面している)のは確定だとは思うんだけど。

そうなると一番しっくりくるのは

 1.今までと同じ。神永新二inウルトラマン(リピア)

   但し神永新二に統合。リピア側の意思は無し。変身可。

 2.真・神永新二 

   完全に神永新二として復活。ウルトラマンが命を渡した。倒れてから今までの

   記憶は無し。変身不可。

のどちらかだとはおもうんだけどね。

 

 

映画の感想はこんなもんで。今年は邦画が多く見れそう。

ではまた次の記事で。

                             さっぴーP